2011年11月5日土曜日

いちご続編

10月2日に植えたいちごの苗に、白い花が咲き、青い実がなった。

どうなってるんやろ。

暖かいせいかな。

今日も11月というのに、気温が25度にもなりそう。

2011年10月19日水曜日

三方岩岳・・・紅葉登山














10月12日、6時に三国を出発。8時に白山スーパー林道のゲートが開くと同時にスーパー林道に入り、三方岩岳駐車場に車を停め、8時半登山開始。

スーパー林道周辺は、まだ紅葉していなかったので、今日はダメかと思ったが、岩岳駐車場に着くと、その辺りは紅葉していた。これはラッキーと早速支度をして登山開始。

三方岩岳へは、30分ほどで到着。ここまでは、一般の観光客も上がってこれる。しかし、山頂を過ぎて向こう側に下りたところの方がキレイなので、野谷荘司山方面に向かう。上の写真は、その途中から三方岩岳を見た写真。

登ったり下りたりしながら、2時間ほどで野谷荘司山に到着。














はるか向こうに、白山も見えた。ふだん福井から見るのと裏返しに見えるので、御前峰が左で、大汝が右だ。































帰り道にスーパー林道を走っていると、猿の群れと出会い、道の両側に小猿も含めて、一群がいた。大滝の駐車場に止めて滝を見たが、その辺も紅葉はまだまだ。今頃は見頃かも。

2011年10月2日日曜日

いちご














いちごの苗を植えた。

「紅ほっぺ」と、「甘すぎる蜜香」という名前の苗。

サントリーとかが苗を生産しているようだ。

早くできんかな〜と毎日見ていたら、カミさんに「できるのは来年や」と言われてしまった。


昨日、交通事故で、たこ焼き屋に車で突っ込んだ、63歳の坊さん。何をボーッとして運転してるだか知らないが、突っ込んだたこ焼き屋の名前を聞いて笑った。

「タコボーズ」

ほんまにタコな坊主や!

2011年9月28日水曜日

夜叉が池登山


















久しぶりに今庄の夜叉が池に登った。

青空で気持ちいい。風もさわやか。

登り1時間45分。下り1時間25分。快調。














この写真の右の方の道が、福井県と岐阜県の県境だ。

右側の岐阜県から登ってくる人がけっこう多い。福井県側の登山口にあった車の数は4台だったから、登る途中ですれ違った下山者の数からして、池には2人ぐらい残っているかなと思ったら大間違い。写真の左にある木の展望台に20人ぐらいの団体さんがいた。団体さんは名古屋からバスで来たそうで、この団体さん以外にも、個人できた人が10人以上いた。

この夜叉が池のほとりには龍神様が祀られていて、岐阜県側から来る人は、この龍神様にお参りする。たくさんのお供え物を持って上がってくる。なぜか、龍神様に口紅も。

現在は自然保護のため、池の周囲には木道が作られ、池に入ることもできなくなり、ガスコンロで火を使うことも禁止された。だから保護種の「ヤシャゲンゴロウ」の数も増えたようだ。たくさん泳いでいた。

2011年9月24日土曜日

米沢攻め・・・前田慶次郎墓参り



行ってきました、米沢藩。

前田慶次郎の墓参りに、シマジロウではなくて、島左近こと前田慶次郎利則殿と、愛馬「松風」にまたがり、台風15号をものともせず、片道540キロ、激しく雨の降る中を、疾風怒濤の攻めでござった。

朝7時半に越前の国・三国湊を出立し、夕刻3時半に、前田殿ゆかりの地、堂森の善光寺にたどり着いた。

今年は前田殿の400年大遠忌が、6月にこの地で執り行われたそうで、境内には、こそここに幟が立っておった。

しかし、3連休のあとのこの日、境内には人っ子1人おらず、名物・しゃべり好き・和尚も顔を出さぬ、静かに雨音だけが、我らを迎えてくれた。

しかし、これも前田殿の遺徳を忍ぶ雨。詩歌に長けた前田殿をして風流極まりない極上の日でござった。ごちゃごちゃ人がおっては、静かに瞑目もできぬ。

それでは、さっそく島殿は、持参の「大ふへんもの」マントを羽織り、身の丈8尺の朱槍を持ち、供養塔に向かって、深く一礼し、前田慶次殿の遺徳を偲んだ。










続いて、拙者「捨丸」も深く頭を垂れた。












供養塔の中には、朱塗りのたばこ盆と、大ぶりなキセルが奉納してあった。











しかし、なおも雨は止むことを知らず、台風の前線から容赦なく雲がたれる。

時、すでに夕刻。だんだんと暗くなり始め、今宵はこれにて退却かと思ったが、明日をも知れぬ我が身、ここは一発、慶次の最後の住まい「無苦庵」の跡にある、「慶次清水」を訪れることとした。

しかし、この場所がなかなかの曲者でござった。雨降りしきる中、人気のない野球場の周囲を探索するも、一向に見つからず、島殿も半分あきらめる中、一踏ん張りした甲斐があって、ようやくと道を見つけた。


かような、薄暗き、ぐちゃぐちゃの道を進むこと150メートル。

ようやくに慶次清水にたどり着く。












立派な道標も立っておった。












これが慶次清水で、今もこんこんと湧いておる。

前田慶次殿は、この水で生活しておったのかと思うと感慨深いものがござった。

ここで、島殿と捨丸は、慶次が著した「無苦庵記」の一節を、声高らかに読み上げ、供養とした。

『そもそも、この無苦庵は、孝を積むべき親もなければ、憐れむべき子もなし。・・・中略・・・九品蓮台に至らんと思ふ欲心なければ、八萬地獄に落つべき罪もなし。生きるまで生きたらば、やがて死ぬるでもあろうかとおもふ』

これにて、このいくさの目的は達せられた我らは、静かに宿に寄宿した。しかし、米沢といえば米沢牛。食せねばなるまい。

かくして、前田慶次殿の供養のため、米沢牛のすき焼きを、遺徳を偲びながら、食したのでござった。

甘露甘露



明くる朝は、やはり雨。しかも、越前の国に、台風が刻一刻と迫り来る。

島殿と相談の上、ここは前田慶次殿に見習い、殿(しんがり)の退却戦を挑むこととなった。

幸いというか不幸にもというか、宮坂考古館は臨時休業、お土産屋も10時にしか開かない。

上杉神社にて、退却戦の幸運を祈り、9時半に、越前を目指し出立した。

ひとたび、会津・喜多方藩をめざし南下するも、峠は大雨で通行止め。西に転じ、海を目指した。ホントは喜多方らうめんを食してみたかった。往路で便利店の女生に「くるくる軒」というお勧め店を調査済みであったのに・・・

往路に続き復路も大雨の中、加賀藩の高速街道も通行止めとなる中、無事に夕刻5時半に越前三国に帰投した。

さっそくCP丸の無事を確かめに参ったが、増水のため、船はいつもより1メートルも高い位置にあって、ちと驚いたが、無事で良かった。

かくして、米沢攻めは台風との戦いになってしまったが、慶次殿に習っていえば「大雨で難儀した。だが、それがいい。」ということになる。

往復1100キロ。16時間の早馬。墓参りの所要時間がたった1時間。だが、それがいい。

2011年9月23日金曜日

ポポー

今年もポポーの実をいただいた。

この写真の前の方のは、半分だけむいてある。中身はこんな黄色い色をしている。味はマンゴーに似て美味しい。

たくさんもらったので、欲しい方はご連絡を。

詳しくは、元のブログを見てください。

2011年9月22日木曜日

お願い














額の真ん中にハートマークのある、ふうた(パグ犬)

両方のブログに、同じ記事を書くのも大変なので、元のブログの方も、ご覧になってください。

元のブログのアドレスは・・・
C.P.Cruise Blog
http://blog.livedoor.jp/cpowl/