2011年9月28日水曜日

夜叉が池登山


















久しぶりに今庄の夜叉が池に登った。

青空で気持ちいい。風もさわやか。

登り1時間45分。下り1時間25分。快調。














この写真の右の方の道が、福井県と岐阜県の県境だ。

右側の岐阜県から登ってくる人がけっこう多い。福井県側の登山口にあった車の数は4台だったから、登る途中ですれ違った下山者の数からして、池には2人ぐらい残っているかなと思ったら大間違い。写真の左にある木の展望台に20人ぐらいの団体さんがいた。団体さんは名古屋からバスで来たそうで、この団体さん以外にも、個人できた人が10人以上いた。

この夜叉が池のほとりには龍神様が祀られていて、岐阜県側から来る人は、この龍神様にお参りする。たくさんのお供え物を持って上がってくる。なぜか、龍神様に口紅も。

現在は自然保護のため、池の周囲には木道が作られ、池に入ることもできなくなり、ガスコンロで火を使うことも禁止された。だから保護種の「ヤシャゲンゴロウ」の数も増えたようだ。たくさん泳いでいた。

2011年9月24日土曜日

米沢攻め・・・前田慶次郎墓参り



行ってきました、米沢藩。

前田慶次郎の墓参りに、シマジロウではなくて、島左近こと前田慶次郎利則殿と、愛馬「松風」にまたがり、台風15号をものともせず、片道540キロ、激しく雨の降る中を、疾風怒濤の攻めでござった。

朝7時半に越前の国・三国湊を出立し、夕刻3時半に、前田殿ゆかりの地、堂森の善光寺にたどり着いた。

今年は前田殿の400年大遠忌が、6月にこの地で執り行われたそうで、境内には、こそここに幟が立っておった。

しかし、3連休のあとのこの日、境内には人っ子1人おらず、名物・しゃべり好き・和尚も顔を出さぬ、静かに雨音だけが、我らを迎えてくれた。

しかし、これも前田殿の遺徳を忍ぶ雨。詩歌に長けた前田殿をして風流極まりない極上の日でござった。ごちゃごちゃ人がおっては、静かに瞑目もできぬ。

それでは、さっそく島殿は、持参の「大ふへんもの」マントを羽織り、身の丈8尺の朱槍を持ち、供養塔に向かって、深く一礼し、前田慶次殿の遺徳を偲んだ。










続いて、拙者「捨丸」も深く頭を垂れた。












供養塔の中には、朱塗りのたばこ盆と、大ぶりなキセルが奉納してあった。











しかし、なおも雨は止むことを知らず、台風の前線から容赦なく雲がたれる。

時、すでに夕刻。だんだんと暗くなり始め、今宵はこれにて退却かと思ったが、明日をも知れぬ我が身、ここは一発、慶次の最後の住まい「無苦庵」の跡にある、「慶次清水」を訪れることとした。

しかし、この場所がなかなかの曲者でござった。雨降りしきる中、人気のない野球場の周囲を探索するも、一向に見つからず、島殿も半分あきらめる中、一踏ん張りした甲斐があって、ようやくと道を見つけた。


かような、薄暗き、ぐちゃぐちゃの道を進むこと150メートル。

ようやくに慶次清水にたどり着く。












立派な道標も立っておった。












これが慶次清水で、今もこんこんと湧いておる。

前田慶次殿は、この水で生活しておったのかと思うと感慨深いものがござった。

ここで、島殿と捨丸は、慶次が著した「無苦庵記」の一節を、声高らかに読み上げ、供養とした。

『そもそも、この無苦庵は、孝を積むべき親もなければ、憐れむべき子もなし。・・・中略・・・九品蓮台に至らんと思ふ欲心なければ、八萬地獄に落つべき罪もなし。生きるまで生きたらば、やがて死ぬるでもあろうかとおもふ』

これにて、このいくさの目的は達せられた我らは、静かに宿に寄宿した。しかし、米沢といえば米沢牛。食せねばなるまい。

かくして、前田慶次殿の供養のため、米沢牛のすき焼きを、遺徳を偲びながら、食したのでござった。

甘露甘露



明くる朝は、やはり雨。しかも、越前の国に、台風が刻一刻と迫り来る。

島殿と相談の上、ここは前田慶次殿に見習い、殿(しんがり)の退却戦を挑むこととなった。

幸いというか不幸にもというか、宮坂考古館は臨時休業、お土産屋も10時にしか開かない。

上杉神社にて、退却戦の幸運を祈り、9時半に、越前を目指し出立した。

ひとたび、会津・喜多方藩をめざし南下するも、峠は大雨で通行止め。西に転じ、海を目指した。ホントは喜多方らうめんを食してみたかった。往路で便利店の女生に「くるくる軒」というお勧め店を調査済みであったのに・・・

往路に続き復路も大雨の中、加賀藩の高速街道も通行止めとなる中、無事に夕刻5時半に越前三国に帰投した。

さっそくCP丸の無事を確かめに参ったが、増水のため、船はいつもより1メートルも高い位置にあって、ちと驚いたが、無事で良かった。

かくして、米沢攻めは台風との戦いになってしまったが、慶次殿に習っていえば「大雨で難儀した。だが、それがいい。」ということになる。

往復1100キロ。16時間の早馬。墓参りの所要時間がたった1時間。だが、それがいい。

2011年9月23日金曜日

ポポー

今年もポポーの実をいただいた。

この写真の前の方のは、半分だけむいてある。中身はこんな黄色い色をしている。味はマンゴーに似て美味しい。

たくさんもらったので、欲しい方はご連絡を。

詳しくは、元のブログを見てください。

2011年9月22日木曜日

お願い














額の真ん中にハートマークのある、ふうた(パグ犬)

両方のブログに、同じ記事を書くのも大変なので、元のブログの方も、ご覧になってください。

元のブログのアドレスは・・・
C.P.Cruise Blog
http://blog.livedoor.jp/cpowl/

2011年9月18日日曜日

秋の空セーリング

気温の高い日が続くが、空はすっかり秋の気配。

東の風がけっこう吹いて、波も1メートルほど。

うねりに揺られながら、時々、大きくヒールする。






昨日は雨がかなり降ったので、河口付近の海は茶色。

それでも、茶色いのは海面付近の数十センチだけ。その下は青い海が顔を覗かせる。







陸の方を見ると、遠く白山も遠望できた。

左の方の少し薄くなっている山陰が白山だ。

今年、もう一度登りたい。

2011年9月15日木曜日

せたが屋のつけ麺

だるまや西武で、全国味めぐりがあったので、カミさんと出かけた。

11時からラーメンが食べられるということで、15分ほど前に並んで、席に着いた。

メニューは、左の写真のつけ麺と、白湯ラーメン(限定30食)があったが、この日はつけ麺が100円安かったのと、つけ麺というモノを食べたことがなかったので、食べてみた。


実は、見本の写真はこれだが、付け汁の様子がかなり違う。チャーシューとメンマはどこ?っていう感じだが、チャーシューとメンマは沈んでいた。ナルトは麺の上のノリの上。

食べてみると、けっこう美味しい。

付け汁は温かい。魚介系というか、鰹の味が強い。

麺の出来がいい。プリプリとしていて、妙な芯や堅さがない。きちんと茹でてある。

今まで、邪道なラーメンだと思っていたが、そうでもないようだ。

カミさんは猫舌なので、「これはいいわ」と言って、麺をたくさん付け汁の中に入れて食べていたが、真似をしたら、付け汁の温度が一気に下がってしまって、ぬるくなってしまった。だから、麺を少しずつ浸けて、ざるそばのようにして食べた方が、付け汁の温度が下がらなくて良いようだ。

たべたあとは、娘のリクエストの堂島ロールを買って帰った。


2011年9月10日土曜日

Eastman フラットマンドリン 到着














(健ちゃんからコメントができないという指摘があって、調べてみたら確かに設定がそうなっていた。変更したので、ぜひコメントをお願いします)

東京で買ったフラットマンドリンが宅配されてきた。

イーストマン(Eastman)というメーカーのMD-315 ARという品番で、朱く塗装されている。
いわゆるGibsonのF-5タイプの形状で、これが一番音がよいとされている。

イーストマンというのは割と新しいブランドで、CPが初めて楽器屋で見たのは今から15年ほど前、ジャズやブルースで使う、アーチトップの生ギターだった。アーチトップの膨らんだ表板を手で削りだして作っている割には、価格が抑えられていたのが印象的だった。中国で生産しているから安いようだ。

今回、東京の楽器屋めぐりをして、このイーストマンが一番の狙い目だったが、他にも、ケンタッキーやスタッフォード、ロアというメーカーのものも気になっていた。

結局、見た目や予算や弾いた感触で、このフラマンにした。

でも、このフラマンにはハードケースは付属していなかった。価格が安いからだ。背中にしょえるようなソフトケースが付いてきた。

でも、CPには、1年ほど前に購入した、ブルーベル(Blue Bell)のフラマンがあって、これは20年以上前の中古品で安かったのだが、ハードケースが付属していた。

それで、このハードケースにイーストマンが入らないかなぁって思って、実際に入れてみたら、入るじゃないか!

ハードケースに収まったイーストマン











ハードケースを追い出されたブルーベル












よく見れば、初めから両方の形のマンドリンが入るような構造のようだ。

これから、まじめに練習しないとね!

2011年9月8日木曜日

行ってきました 東京

遊びで行くのは何年ぶりの東京。待ち合わせは東京ミッドタウン。

豪華すぎて居場所がない。ここは、元・防衛庁跡地。ここの向かい辺りに「六本木バランタイン」というライブハウスがあって、ムッシュかまやつなどのライブを聴いた。
友人・健ちゃんの仲間内でのライブ演奏会が行われる六本木のライブハウスに移動。
ギター好き、ウクレレ好きが場所を借りて、年に一度、一人30分の持ち時間に、思い思いの演奏をする。下手でもいい、間違えたって気にしない、みんな楽しそうだ。健ちゃんも自慢のギター028Kを弾きながら歌も歌った。

飛び入りでウッシーさんというシンガー・ソングライターが2曲歌った。CDを3枚出してるそうなので、送ってもらうことにした。

明くる日は、フラット・マンドリン(通称フラマン)を買いに、渋谷やお茶の水の楽器屋めぐり。ギタープラネットでEastmanの気に入ったのが見つかり購入。ついでに、Collingsという高級ギターを弾かせてもらった。
渋谷のBOOF・OFFの地下の古着屋で、アロハシャツを購入。由緒正しき「レーヨン」生地で、柄もオーソドックスなのを選んだ。パイナップルの方はKが選んでくれた。

その夜は、東京に住む息子と大井町の焼き肉屋で、たらふく食べた。
泊まった浅草橋のホテルに着いて、部屋の窓のカーテンを開けたら、スカイツリーが見えるじゃないか!

明日は見に行こう。
早朝に隅田川から見るスカイツリー

下町の路地から見る
建設現場のすぐ下から見上げる
スカイツリーの周囲をくまなく歩いて思うことは、スカイツリーは江戸の下町のど真ん中に作っているということ。スカイツリーのすぐ下に普通の家や町工場や商店が建ち並ぶ。
ツリーの北側の路地に、籐工芸の工房があった。高さ2メートルほどのミニチュアがあった。店の中を覗くと、おじいさん職人さんが、もう少し小さなスカイツリーを作っていた。奥では、その息子さんらしき職人さんが籐椅子を作っていた。

おじいさんと話し込んでしまった。土台部分の三角形から丈夫の円形に持って行くのが難しかったそうだ。同じ話を3回聞かされた。
東部伊勢崎線・押上駅ホームから見たツリー
東武鉄道で浅草まで戻り、吾妻橋から振り返ると、一番ポピュラーな絵柄。墨田区役所とツリー。

浅草に来たのは、浅草演芸ホールに行くため。
浅草寄席の昼の部に入場した。ホールの前にたくさん並んでいたので、入れないかと思ったが、この人達は団体さんで、個人客はすぐに入れた。

11時40分から17時までが昼の部で、2500円払えば全部見れるが、14時頃まで見た。前座の女性落語に始まり、マジック、アコーディオン漫談、のいるこいるの漫才、7人の落語と続いた。あんまり笑いすぎて涙が止まらなかった。いつもは仕事として舞台を見ているが、今日は全くの客として、生涯初めて心底笑った。

ほんとは4時過ぎに出てくる柳家三三を見たかったが、帰りの飛行機に間に合わなかったので残念。

最後に、土産に買った、スカイツリー・ウォーター。ツリーの脇のセブンイレブンで400円もしたよ。




2011年9月2日金曜日

底引き 解禁

7月、8月と休みだった底引き網漁が9月1日に解禁となり、三国港にも甘エビなどが水揚げされた。

うちの食卓にも、早速甘エビが出てきた。

今日は安くて、これで598円だったそうだ。多分、これは殻が柔らかかったので、脱皮した直後の甘エビだ。そういう甘エビは一般に流通しないだろうから地元の鮮魚店に並び、値段が安かったのだろう。

いよいよ台風12号が接近してきた。

明日の朝の東京行きは難しい状況になってきた。

7時50分のJALを予約してるが、これがもし欠航となれば、明日一日は飛ばないだろう。

飛ばなけりゃ、明後日の日曜日に行くことにしよう。健ちゃんよろしく!

2011年9月1日木曜日

台風対策


やっぱり、台風12号「タラス」は、3日午後ぐらいに福井県に最接近。しかも、福井県の西側を通過するので、福井県は台風の危険半円に入って最悪の状況になりそう。

早朝からCP号に向かい、台風対策。
・メインセールは先日外してしまったので、ジブセールを外す
・南東方向にアンカー増設。テンダーに乗ってブルースアンカーを沈めた
・ブームをデッキ上に固縛
・デッキカバーを荒天用に取り替え
・陸側にフェンダーを増やす
・ハッチ類を閉める

そんなこんなで3時間ほどかかった。汗だくで帰宅。シャワーをして、バブシャワーをして一服。

渇いたのどに、冷たい飲み物。梅シロップをペリエで割り、シークワーサーをたらす。

スッキリ、爽やか〜

3日〜5日に、東京へ飛行機往復で、お上りさん旅行に行く予定だが、台風で行けるだろうか心配。

小松7時50分発 羽田行きは飛ぶだろうか。